ブログby園主妻です。
山梨に移住してきて、初めて関わるようになった草刈りという行為。
千葉に住んでいたころはマンション住まいでしたので庭の草取りということもなかったので、本当に今まで縁のない作業でした。雑草のポテンシャルについて何も知りませんでしたので、当初は正直舐めていたというか、仕事としても捉えていませんでした。
すると4月以降暖かくなってくると、庭も畑もボーボーになるわなるわで、なんじゃこりゃー!です。刈っても刈っても秋になってもしつこくボーボー生えてきて、すぐにジャングル。雑草のパワフルさに驚きました。刈り方や刈るタイミングなどここ数年でようやく草刈りのコツを会得してきましたが、今回、ブログに書いてみたいのは「草刈り」という行為が持つ意味についてです。
これは私たちが何年か山梨に住むにつれ、感じるようになったり考えさせられたりしたことで、なかなか深い、と思ったことです。
就農した当初、私が思っていた草刈りの目的は美的景観の維持だけでした。
農法としては草生栽培(※1)といってあえて畑に雑草を生やしてブドウを栽培する手法が広がり始めていて、私たちも取り入れていますが、その当時は、畑を草ひとつなくキレイに管理している近所のお年の農家さんには眉をひそめられるよねぇ、とよく話題になったものです。
そんなに畑がすっきり草ひとつなくキレイな状態が良いものかなー、かわいい雑草が多少生えていた方がホノボノするし、気持ちいい畑な気もするけどなー、なんて考えていました。
でも、7、8年、こちらに住んで畑をやっていると草刈りには色々な意味が乗っかっているのではないかな、と思うようになりました。
- 草刈りをキレイにしてないとゴミを捨てられる
これは農家あるあるだと思うのですが、道路沿いの畑ではよく空き缶や吸い殻、ひどい場合はコンビニ袋に入った弁当ゴミなどが投げ捨てられることがあります。または、犬のフンなども。人間の心理なんでしょうか、こういった行為は、とってもキレイで整然としている所にはされにくく、ちょっと畑の端の草が生えてる部分とかに集中していることが多いです。こういうことを防ぎたい場合は、畑の端までキレイに草刈りしてゴミを捨てにくい雰囲気を作ることが大事になります。 - 草刈りをキレイにしてないと動物が寄ってくる
本当は木に影響がなければ、雑草自体はそんなに邪魔な存在じゃないのでそんなに神経質にならなくてもいいと思うのですが、動物が出るエリアの場合は、草があると動物が隠れながら近寄りやすい、安心してウロウロできる、ということで動物を呼びがちになる傾向があります。動物が出るエリアは、できれば畑の周辺も草刈りして見晴らしを良くして近づきにくい環境にしたい、という状況になります。 - 草刈りをしている=人が管理している土地ですよというサイン
都会に住んでいると遊んでいる土地に出くわすことがほとんどないので気に留めませんが、地方だと空き地や放棄地が沢山あります。野や山に豊富に土地がありますので、ここが誰の土地かというのは一目で分かりません。でも、草刈りがしてあると「この土地は誰かが定期的にここに来て管理している土地なんだな」という目印になります。さらに言えば、「ここは私が管理している(気を配っている)土地なので、勝手に何かしないでくださいね」というメッセージにもなります。そういった土地には無断駐車や、勝手に立ち入ることはしにくいですよね。その土地を草刈りしてとてもキレイに管理している=その土地をとても大切にしています、という意思表示にも繋がっている気がします。 - 火事の際の延焼を防ぐ
これまた都会で暮らしていると縁遠いのですが、こちらでは野焼きや焼き畑が頻繁に行われているので、火事が珍しくありません。冬の乾燥した日が続いた風の強い、晴れた週末にはかなり高い確率で消防車のサイレン音を聞くことになります。先日、作業していたぶどう畑のすぐ近くで火事が発生したのですが、草刈りをしていない放棄地の枯草にあっという間に燃え広がり、大きな炎があがっていました。幸い近くに人家がなかったので消火活動によって人的被害はなかったのですが、家の近くにこういった放棄地や荒れ地がある場合、火事の際に火が家まで届かないように家の周りを草刈りしておくというのは皆さん気を付けているように感じます。私たちの自宅の周りも耕作放棄地が広がっていて草がボーボーですので、家周辺は燃えるものがないようにキレイに草刈りをしています。 - 自然の中で暮らす=草刈りが自然と人里との境界線をつくる大事な行為
私たちは南アルプスの山域がすぐ裏手に迫る山際に住んでいます。そして山から流れ出る川も多くあるエリアです。川沿い、山からの水が流れる用水路、田んぼ、裏の林、家の前の道、それらは定期的に草刈りをしないとすぐに背丈1m以上の草に埋もれ、1年、2年も草刈りをしない放棄地は木やツルが生えてきてジャングル化してしまいます。都会に住んでいると自然はコンクリートジャングルのなかで窮屈に小さくなって存在していますが、自然豊かな地方では圧倒的に自然の力が強く、すぐに人里は自然に飲み込まれて行ってしまいます。草刈りという行為は人と自然とのせめぎ合う境界線を守る行為で、それを住んでいるエリアの人たちで協力して行うことはまさに「自分たちの住む村が飲み込まれないように維持する」という意味を持つのではないかと感じています。草刈りという行為が「自分たちの生活を守る」という象徴的意味も持っていたのではないかなぁ、と。
ご年配の方の「畑を草ひとつなくキレイに管理する」という行為は、単なる美的景観目的ではなく、このような複合的な意味合いが乗っかっているのではないかなぁ、と思うに至りました。
このようなことを感じて、園主妻も草刈りという仕事を大事にするようになりました。草生栽培をしていますので常に草がなくキレイな状態ではないですが、、、。首都圏に住んでいると本当に縁がない仕事だったですし、結構体力も使いますし、地味ですが、こんなに深いものだと思っていなかったので、面白いなぁと感じています。
草生栽培の草刈りのコツ、理想的なカバープランツなど、草周りの情報はまだまだありますが、そちらについては園主がいつかブログに書きたいようですので、気長にお待ちくださいませ(ニッチすぎてニーズがあるのか不明ですが)。
※1:草生栽培とは
あえて雑草などを生えさせた土壌で栽培する農法。草生栽培のメリットと言われているものは、畑の土の流出を防ぐ、極端な土の環境変化を避ける、雑草の根によって土に空気の通り道をつくる、刈られた草が土に還ることで穏やかに窒素が土に供給される、など。